土岐善麿関連エントリー

哀しくも、をかしくもなく、おのづから涙の湧くも、はかなし ...

携帯電話をおしりのポケットに入れたまま 座ってしまったために液晶が破損し、 修理費は5,000円という知らせを受けたと思ったら、 今度はチェーンソウです。 先日は 千葉からの帰りに電車の網棚に忘れものをして ...

哀しくも、をかしくもなく、おのづから涙の湧くも、はかなし ...

土岐善麿 春の夜のともしび消して

土岐善麿(1885-1980) 春の夜のともしび消してねむるときひとりの名をば母に告げたり 「遠隣集」(昭和26年) 註 歌人、新聞記者。読売新聞社会部長時代に、東京・京都間の長距離リレー競争を企画し、「駅伝」と名づけて大成功させるなど ...

土岐善麿 春の夜のともしび消して

「夏草」土岐善麿

土岐善麿が昭和21年に発行した歌集です。敗戦の日本に立って、戦争を問い直し、出発しようとしている心情が歌われています。 ... http://www.kosho.or.jp/index.html 土岐善麿の歌集は、今ではなかなか手に入りません。 ...

「夏草」土岐善麿

土岐善麿と石川啄木

... 土岐善麿の生家の浅草等光寺で葬儀が行なわれた。 わが友の、寝台の下の 鞄より 国禁の書を借りてゆくかな。 土岐善麿は歌人、国文学者、ジャーナリスト、新作能の作者、杜甫の研究家、田安宗武の研究、日本式ローマ字論者 ...

土岐善麿と石川啄木

[引用(短歌・和歌)]土岐善麿

あなたは勝つものとおもつてゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ

[引用(短歌・和歌)]土岐善麿

土岐善麿とは?

土岐 善麿(とき ぜんまろ、1885年(明治18年)6月8日 - 1980年(昭和55年)4月15日)は、明治末~昭和の歌人・国語学者。
東京・浅草の真宗大谷派の寺院に生まれる。東京府立第一中学校(現・東京都立日比谷高等学校)を経て、早稲田大学英文科に進み、島村抱月に師事。窪田空穂の第一歌集『まひる野』に感銘をうけ、同級の若山牧水とともに作歌に励んだ。
卒業の後、読売新聞記者となった1910年(明治43年)に第一歌集『NAKIWARAI』を「哀果」の号で出版、この歌集はローマ字綴りの一首三行書きという異色のものであり、当時東京朝日新聞にいた石川啄木が批評を書いている。同年啄木も第一歌集『一握の砂』を出し、文芸評論家の楠山正雄が啄木と善麿を歌壇の新しいホープとして読売紙上で取り上げた。これを切っ掛けとして善麿は啄木と知り合うようになり、雑誌『樹木と果実』の創刊を計画するなど親交を深めたものの、1912年(明治45年)に啄木が死去。その死後も、善麿は遺族を助け、『啄木遺稿』『啄木全集』の編纂・刊行に尽力するなど、啄木を世に出すことに努めた。

土岐善麿の詳細